概念

何かしてもらったら何か返したくなる

何かしてもらったら何か返したくなる

【返報性の原理】

 

 

普段の生活の中で感謝を感じる
ことって何かとあると思う。

 

 

誰かからちょっとした優しさに
触れることができたり、
何か物を頂いたり。

 

 

身近なところで言うと
親には世話になりっぱなし。

 

 

今まで子供のためにありとあらゆる物事を
自分を削ってまで育ててくれたのだから。

 

 

家事や洗濯等といった家のことや
何かやりたいことがあれば、それに
協力して後押ししてくれたり、
自分の事を優先する前にまず子供の
ために動いてくれていた。

 

 

当たり前のような話に聞こえるかも
しれないけども、今の自分にとっては
凄まじいくらいすごいことであり、
計り知れないくらいの大きさを感じている。

 

 

自分の事で手一杯な現状があるだけに
自分の理想と今の現状はかけ離れている。

 

 

早くこの距離感を縮めていって現実のもの
したい。

 

 

いつも歯がゆく、もどかしい。

 

 

理想はやっぱり親にもらった感謝を
しっかり感謝で返すこと。

 

 

子供が親に感謝の意を込めて
何らかの形で親孝行したいと
思うのは、今までたくさんの
ありがとうの行為を頂いたから。

 

 

参考記事  親に感謝するとはこういうこと

 

 

何かしてもらったら何か返そう、
もしくは返さないと気持ちが悪い
と思ってしまうほど。

 

 

親だけでなく、日常でもありがとうと
思える事は数知れずある。

 

 

ダンスの指導をさせてもらっていると
当然そこには生徒さんがいるわけで、
さらには親御さんもいる。

 

 

大きなイベント等に出た後には
何か頂く機会も多い。

 

 

レッスンをしていて、生徒さんたちの
本当の気持ちまで理解することは
難しい。というか無理だと思う。

 

 

そんな中、イベント終わりにそれぞれの
気持ちのこもった手紙をプレゼントとして
頂いた。

 

 

普段は表情や体からしか気持ちを
読み取ることが出来ないけど、
言葉にして気持ちを表現されると
「そんな風に思っていたんだなぁ」
といった発見がある。

 

 

参考記事  子供たちは色んなものを見て感じている

 

自分にとってそれはすごく活力になる
言葉であり、すごく嬉しいこと。

 

 

そんなプレゼントを頂いたら
何か返さないわけにはいかない気持ちになる。

 

 

だから自分も何か用意するわけだけども、
これって今まで何となくではあるけど、
やってきていることだなと感じた。

 

 

子供の時でも学校で教科書を忘れたり、
鉛筆や消しゴムを忘れたりすると、
隣の子が貸してくれて、そのお礼に
何かしようという気持ちに自然になっていたし、

 

誕生日の日に何かもらったら
何かお返しするといったことも。
(出来ていないこともある…)

 

 

人間に備わっているものだろうから
何か感謝を感じたら
行為でもいいし、
物をプレゼントするのでもいいし、
言葉でもいいから、一言でいいから
ちゃんと伝えないといけない。

 

 

思っているだけでは何も感じていない
のと同じだし、相手には分からない。
だからリアクションが必要。

 

 

照れくさいこともしばしば。
でも伝えていこう。

 

 

一日の中で自分が
ありがとうと思える瞬間を
意識的に探して見ようかなと感じた。

 

 

身近な事でもたくさんある気がする。
いつも反応的に生きているから、
自分がどういった時に感謝を感じるのか
自分で一度見てみることにしよう。

 

 

 

ご覧頂きありがとうございました。

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