表現

表現者として唯一無二であること

表現者として唯一無二であること

【意味のないものに意味を持たせる】

僕は自分でもなぜそうしたのか
なぜそうなったのか
なぜ思いついたのか
なぜそれが良いと思ったのか

思い返しても
理解できないし、説明できないことの
方が多いかもしれない。

ダンスをやっていて喋らなくて
いい事が心地よく、楽だった。

でも続けていくうちに、言葉に
しないといけない場面が増えてきた。

そんな時、何も喋れない自分が
そこにいた。

自分がいいなぁと思える踊り手の人達は
自分の言葉でボキャブラリー豊富に
上手に話していた。

実際、言葉を聞くことによって
より理解が深まり、さらに興味
を持ち期待するようになっていた。

言葉を持つことが大事であることを
実感した。

言葉にできない自分に
劣等感を感じるしかなかった。
自分に問いただした。
なぜ言葉にできないのか

昔を振り返ったりする。
学校で感想文を書くのが
嫌いだった。
感じたこと、学びを要求される
授業が嫌だった。

感じたことを考えるという
作業が苦手だった。
ずっとそうやって生きてきた。
だからその部分において何一つ
進歩がなかった。

感じるものが何もないのかと悩んだ。
感性が著しく乏しいのかと悩んだ。
でもちゃんと心に響く感覚はあった。
ただそれを言葉になんかできなかった。

自分の事を自分の言葉で説明
できるようになりたかった。
しっくりくる言葉を自分の口
から放ちたかった。

でも奥底では言葉で説明がついて
しまう表現なんてスケールが小さく
つまらない。

そう思っていたし
そう思っている。

今でも言葉にしてみると
本当にそう感じたものと
言葉が一致しているのか
半信半疑だったりする。

ただの後付けではないのかと。

言葉なんてものはいい加減なものです。
実際にそう思っているのかなんて
自分自身でも分からなかったりするんだから。

だからこそ心体で表現し、そこに共感が
入ると身の毛もよだつほどに震えあがり
心と体がつながり、自分で感動するんです。

これは紛れもない事実。
体が喜んでいる。
ワクワクしている。

その様と情景を見ている人にリアルに
感じてもらい届けるんです。

説明することとメッセージは違うはず

自分でも理解できない発想や踊り。
そこに意味がなくても、言葉に
できなくても外に出してあげよう。

共感されやすいものほど
着地点がはっきりしている。

自分でも理解できない
周りにも説明できない
共感できない

これはすごくもろい。
でもずっと新しい。

困難や葛藤の連続。
わかってほしいと
心のどこかで思ってしまうだろう。

その自分との戦いこそが
表現者としての美徳であり、
永遠のテーマかなと。

やるならそこの境地でやりたい。

ご覧頂きありがとうございました。

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