概念

努力という言葉の使い方

努力という言葉の使い方

【気持ちに負荷がかかる】

 

努力という言葉はどういった時
に使えばいいのだろうか。

 

個人的には三つあると思っている。

 

例えば
僕は高校時代、野球部だった。
朝練習や夜遅くまで自主練習
をしていた。

周りがそういう状況だったし、
その行為自体が当たり前だった。
うまくなろうと思って練習する事は
当然の事だから、これを努力と言う
と違うのかなと思ったりする。

 

ただ最初は自主練習するというのは
当たり前の事ではなかった。

意識も低く、周りの環境によって
引き上げられてやり始めた。
そんな感じだった。

 

何か新しい事を自分の生活のサイクル
の中に取り込む時に、すごく気持ち
に負荷がかかりエネルギーを使う。

これを習慣化するまでのがんばりが
一つ目の努力かなと。
(STEP1の軽めの努力)

 

参考  三日坊主とバイバイ

 

 

習慣化してくると、練習の質も変わって
いくため、練習の質による負荷、それに
より気持ちにもさらに負荷がかかってくる。

やる前から辛い、苦しいといった
気持ちが先行してくる。
そんな自分との戦いをしながら
それでもやるといった状態が
二つ目の努力かなと。

 

後はやらなくても良いけど
やった方が良いことをやり
続けるということ。

 

例えば
ダンスのことで言うと筋トレ
なんかもその1つだと思う。

自分の踊りをもう少し輝かせる
ために強化するといった感じ。
逆に最悪のリスクを回避するため
にも強化しておく。

踊りだけをやるのではなく
そこに関わってくるもの全て
を大事にしておくとより踊り
が引き立つのだと思う。
この行為が三つ目なのかなと。

 

極論を言ってしまうとやったことに
無駄はないということ。

 

やる順序や方向性を見定めて突き進む
ことが大切だと思う。

 

やっている人からすると
ごく当たり前の事かも知れない。

 

頑張りの度合いにも個人差があるし
一概には言えない。

だから努力という言葉を自分で
使うことってほぼないと思う。

周りに言うことではないし、
がんばっていればそれでいいし、
変化した自分がそこにいれば
周りは気づき、
「努力したんだろうなぁ」と
思う。

 

僕はそういう風に周りの
みんなを見ている。

 

言葉が先行してしまいがちだけど
努力というのも結果ではなく
ただがんばっているという状態
を表しているだけだと思う。

 

でもその行為がすごく尊い。

 

誰もがやっているわけでは
ないし、成果を上げている
人はみんなやっている。

 

しっかり一つ目のゴールを
設定して、そこに情熱を持って
向かっている。

 

僕もそうありたい。
今のままではマズイ。

何をやっているんだと
いつも独り言。

やるしかない。

 

ご覧頂きありがとうございました。

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