表現

見ている先にあるもの

見ている先にあるもの

これで10通目の記事になりますかね。

ご覧頂きありがとうございます。

 

不思議。
こんなふうに言葉にして
表現をしている自分に

何か行動を起こすときには
何か目的があるわけですが。

自分の事を書く必要がある。

ダンスを始めてから
12,3年経つわけだけど
この数字も当てにならない。

でも自分が何か取り組み始めた
もので油利隆行として生きてきた
30年に続く長い年数。

もちろん踊ってない期間もある。

何も分からなかった自分。
がむしゃらにやってた。
教えられたことを忠実に。

いろんな人
いろんな踊りに
触れることができた。

だから間違いなく
自分は変化していった。

もちろん今もその続き。

ダンスをする上で大事なのは
自身であること。

そこに違いを持たせないと
印象に残らないから。

違いを持たせるというより
違いを認識するということ。

個性個性っていわれる事が
多いと思う。

その通りだし、言葉にして
伝えるときに言ってしまう
のも分かる。

でもその言葉自体に力はないと思う。

みんな違って当然だし
みんな分かってる。

チームでやる時は
違いをしっかり認識して
同調していく、同期していく
感覚がカラーになる。

同じものを学んで
そこに個性を出すのは
難しいとは思う。

踊りのhow toを
伝えて教えて
後は自分の解釈で
昇華して個性をだしてください

と言われても出来る人は
できるし、出来ない人の
方が多いかも知れない。

ひょっとすると知りたい、
学びたいことはそこにない
可能性もあるのかなと思う。

練習したらうまくなる。
これは間違いないと思う。

ただどうやってそういう踊りに
なったのかという過程を
話すことはほとんどない。

結果だけを伝えてしまっている。
レッスンを受けてきた事を思い返すと
当たり前のようにレッスンの流れが
決まっていて
なぜそれをやった方がいいのか
なぜそれが大切なのか
が抜けている。

だからそのまま
それを下の子達にも
伝えてしまう。

その連続。
僕もそのひとり。

言葉を言葉として使うことを
伝えてしまっている。
そこに中身がないと
言われてもわからない。

この人が言っていたから
あの人が言っていたから
ここには何の意味も持たない。

情報は情報にすぎない
そこに価値を持たせるのは
自分の経験からくる
ストーリーだと思う。

自分にはあまのじゃくな
部分がある。
それが功を奏して良い結果に
繋がる事もある。

逆にミーハーな部分も
あってみんなと同じで
ある事で安心したりする。

その都度、その時の自分で
選択すること
選択を迫られることが
あると思う。

そんなときは
自分で自分を客観視すること
自分の感情は自分にしかキャッチできない
自分の特性が必ずある

顔や骨格、体つきや性格
速く走れる人、速く走れない人
がいるように
自分の特性を知る必要があると思う
知るためにチャレンジする。

その経験が新たな要素として
自分の信念が変わったりする。

固定概念が一つ外れる。
それをどう活用するかが
個性なんだと思う。

みんな違っていい
違いに価値を感じれたら
自分の道しるべになる。

僕の踊りは
学ぶ対象であっても
真似する対象では
ありません。

ご覧頂きありがとうございました。

 

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