表現

周りの評価に悩んだり流されないように

周りの評価に悩んだり流されないように

【自己表現は最大限に】

 

 

何か自己表現する時、した時というのは
当然誰かに向けて行っている。

 

 

人前で自己主張することが
表現になる。

 

 

一人で全て完結してしまうものは
自己満足なだけ。

 

 

その自己満足を誰かの前でやるから
表現に変化する。

 

 

誰かと話すというのも一人ではない状態だし
人が関わっている時点で自己表現であると思う。

 

 

というか自己満足で終わってしまうようなことは
ほぼないのではないだろうか

 

 

いつも誰かがいるし、
いつも誰かに向けて、
その場が一人である状況であっても
その先や奥には必ず誰かがいる。

 

 

いつも見られる状況にあること。
特別な事をしていなくても
生きているということだけで
それはもう自己表現なんだと思う。

 

 

そんな中でやりたい事を見つけ、
さらに自己表現の場を増やし、
自己表現の濃度を濃いものにしていく。

 

 

日常生活だけではやっぱり窮屈。
基本的に僕は内気で遠慮しがちで、
周りに気を使い、自分から進んで
前に出ることはない。

 

 

もちろん改善の余地があるものだから
変わっていく必要があると思っている。

 

 

ただ日常生活の中に
非日常に感じれる場所を作れると
すごく助けになる。

 

 

僕はダンスをしているわけだけども
これって日常的なことに見えて、
非日常的なものでもある。

 

 

生きる手段としてダンスを生業に
しているから、そういう意味では
すごく身近で日常的。

 

 

参考記事  生きるための手段になっている

 

 

でもダンスを自己主張の場にした時、
普段の自分とはまた違った自分を
見つけれるし、実際自分の本質は
ダンスを通して発見できた実感がある。

 

 

人前で自己主張するということは
当然、周りに評価される事になる。

 

 

これは見ている人も無意識レベルで
行っていること。

 

 

普段の生活にしても、
歩いている人を見て外見だけで
判断していることがあったり、

 

話してみて自分と合うか合わないかを
判断してしまったり、
好きか嫌いかを無意識に自分の色眼鏡で
選別している。

 

 

ダンスに置いても同じこと。
ダンスを見ていると同時にその奥にある、
その人自身を見ているわけだから
踊り=その人(自分)になる。

 

 

興味のある人、興味のない人、
好きな人、そうでもない人、
当然みんなある。

 

 

人前で何かをするということは
反応として何かが返ってくる。
ここにはリスクもある。

 

 

評価を無意識にされるわけだから
言葉という形で返ってくる事もある。

 

 

そこにはかなりダメージの受ける
内容のものもある。
傷つく事も当然ある。
そこにはすごくエネルギーを使う。

 

 

参考記事  誹謗中傷

 

 

賛同者がいればその逆の考えを持った者もいる。
賛否両論は自己表現する上でついて回ってくる。

 

 

違う角度から見ると、賛同者しかいない状態だと
それはまだまだ人の目に触れる機会は少なく、
自分の周りだけで終わってしまっているかもしれない。

 

 

自分の周りにいる人達は
基本的に自分を否定したりはしない。
むしろ応援してくれている人だから。

 

 

批判的な反応があってこそ本物に
近づいていくのかなと思う。

 

 

でもいちいちネガティブだと感じるものに
一喜一憂したくない。
何か表現する時のブレーキをかけるきっかけにしたくない。

 

 

評価されることを望んでいながらも
その言葉に迷ったり惑わされたりはしたくない。

 

 

周りが定義した自分になったら意味がない。
自己表現している限り、
それを最大限に引き上げて行きたい。
表現に有限はないはず。

 

 

まだまだ精神性の弱さが自分にはある。
否定されるのが恐い。
これを0(ゼロ)にすることは難しいけど
なるべくそれを考える時間を0(ゼロ)に近づけようと思う。

 

 

 

ご覧頂きありがとうございました。

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