希望

人に何かを伝えるために必要なこと

人に何かを伝えるために必要なこと

【無力な自分を知る】

 

 

 

18歳から
自分の能力を高めるために大阪に行き
ダンス修行を敢行した。

 

 

当然だけども何も出来ない自分がいる。
色んなダンスのジャンルを踊るわけだけど、
なかなか上手くはいかない。

 

 

少し期待していた自分像が崩れた。
無力な自分に気づく。
だからそれを超えていこうという
気持ちの連続だった。

 

 

それを繰り返していると
何となく踊るということに体が
馴染んでくる。

 

 

最初ほどの不自由さはなくなる。
ただ不自由であることには変わりはない。

 

 

自分の出来ないことをクリアしていくにつれて
その都度、出来ないことが見えてくるもの。

 

 

要は成長していくための段階があり、
どんどん自分のステージが上がっていく。

 

 

自分の能力を高めるという挑戦とともに
誰かに評価をされるという事にも
挑戦していくようになる。

 

 

またそこでは
自分の無力さを痛感する。

 

 

やっぱりどこか自分に期待している
という気持ちがあるから、
そうではない現実と結果に打ちひしがれる。

 

 

東京に初めてコンテストに挑戦しに行ったとき
かすりもしない結果に自分の実力を痛感し、
さらにはその帰り、寝泊りするお金がなかったか
どうかは記憶にはないけども、
渋谷の街で野宿した。
心も体も疲弊していた。

 

 

自分の知らない世界に身を置いた時
ほぼ上手くはいかない。
上手くいくと思っている方が見当違い。
ダメージを受け自分のしょうもなさを感じる。
これが大きな意味を持つ。

 

 

 

 

そして
大阪でそれなりに認知されるようになり
前とは違った状況になってきた。

 

 

そうすると最初から自分のことを知ってもらっている
というアドバンテージがあるから踊りやすかったりする。

 

 

もうその場に踊りやすい環境が用意されている。
見る人の準備も整っている。

 

 

自分の事を誰も知らないという状況とは
明らかにその場の空気感が違う。

 

 

踊りやすい環境を経験すると勘違いをする。
この環境に持ってこれたのは
自分が挑戦を積み重ねてきた結果も
もちろんあるだろうけど、ほんの一部分に過ぎない。
自分に価値など到底ない。

 

 

少し場所や環境が変わったとき
自分の培ってきたものが何も効力を持たない。

 

 

要は自分の事を知らない人の方が圧倒的に多い。
知ってもらっていたとしてもそれだけでは意味がない。
当然のことだけど、やりやすい所で踊っていると
そんなことすら分からなかったりする。

 

 

自分の地元に帰郷した時
いかに大阪の環境がよかったかを
痛感する。

 

 

自分のダンスが何も伝わらない。
何を踊っているんだ。
そもそも誰なんだ。
そんな感じ。
自分の無力さを感じる。

 

 

分かっているようで分かっていなかった。
自分に価値など全くない。
実績なんて関係ない。
0(ゼロ)だということ。
0(ゼロ)から始まる。

 

 

参考記事  自分磨きがなぜ大切なのかの本当の理由

 

 

そもそも自分に期待していることが
良くないと気づく。
影響を与えれるほどの力なんてない。
そんな特別な優れたものなんてない。

 

 

それを肌感覚で体感した。
絶望感もあった。
でもこれを経験できてよかった。

 

 

勘違いしてしまうことも多い。
だから大きな傷つきを何か体感レベルで
体験しておく。

 

 

そうすることで
自分を客観視できる。
他人と自分をなるべくフラットで見れる。

 

 

自分は決して優れていないという前提で
見ることができる。

 

 

自分が正しいと思ってしまいがちだから
決してそうではないという視点を持てる
ことが出来た。
(もちろん完璧ではない…)

 

 

誰かに何かを伝えるとき、伝えないといけない時
自分の経験がないと生きたものにはならない。

 

 

希望を伝えたいなら
それとは逆の絶望を知る必要があるし、
その深みが強いほど言葉に重みが出ると思う。

 

 

だからもっと無力感を経験しないと…

 

 

 

ご覧頂きありがとうございました。

URL
TBURL

コメントする

*
*
* (公開されません)

Return Top